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雑記

秋アニメが終わったらどうしようかと思案中です。そもそも何となく始めただけの感想ブログでして、秋アニメの感想が最後まで書ければいいなーくらいしか考えていなかったもので…。それに、冬アニメで確実に見ようと思っている作品は夏目友人帳くらいなんですよね。まあ、ゆっくり考えます。
以下その他アニメの感想…というより、主にましろ色シンフォニーの感想です。あと、UN-GOも。

ましろ色シンフォニー
第10話を見る限り、このまま先輩ENDになるのでしょうか?紗凪ちゃんが何とも可哀相な展開ですが、それぞれのキャラクターの“成長”を描いた物語として見てみると納得出来ました。公式のアフレコ取材レポートを見ると、壱智村さんが「それぞれが成長していく過程を描いている作品」と言っています。
愛理ちゃんは言わずもがな、序盤で成長しましたよね。でも、決して瓜生君のことが(恋愛的な意味で)好きになったわけではないと思います。普通の男の子とは違っていたから“特別な存在”になっただけ。その特別という気持ちが本当に“恋”だったとしても、本人は気付いていません。
アンジェは第5話で大切なことに気付きました。それは“人のために尽くすということ”。まだまだ子供っぽい所が多いですが、第6話で桜乃と協力して夕食を作ったことで一方的に尽くすだけではなく“相手の気持ちを考える”ということも理解出来るようになったのかなと思いました。
桜乃は第7話と第10話を見比べてみるとわかると思います。第7話でみう先輩と出かけると言った時、あまりよく思っていないようでした。でも今回は瓜生君と先輩を二人きりにするために、わざわざアンジェと一緒に外に出て行っていました。でも正直、妹のエピソードはもう少し欲しいですよね。
みう先輩はここ数話で変わっていきました。今まで自分一人で抱え込もうとしていたのに、今回「頼むのは私なんだから」という“相手に頼る”台詞が出てきましたね。今までは思わせぶりな態度(お母さんの影響なのかなと思ったり…)をとっているのにガードが堅い(気付いていない)といった感じでしたが、第8話から第9話にかけて意識し始めます。自分より他人や動物を優先させる性格故に、他人に尽くしてもらうということがなかったんだと思います。
瓜生君の成長は先輩に告白したこと。瓜生君が唯一恋愛感情を抱いていたのがみう先輩でした。それに、椋梨君にも“年上好き”みたいなことを言われていましたね。今まで空気が悪くならないように努力してきた瓜生君。みんなに優しく接していますが、ある程度距離を置いているというか…先輩と同じように完全には他人に心を許さないタイプですよね。そんな彼が先輩に告白をしました。自分の気持ちを優先させました。それって、凄く勇気のいることだと思うんです。自分と先輩が“同じ”だと感じたからなのかもしれません。
そして、最後に紗凪ちゃん。彼女はまだ成長の途中。確かに子猫の名前や間の悪い電話などは可哀相でしたが、素直になれない紗凪ちゃん自身にも原因があります。ココアを渡す時も、後で冗談だよと言って渡す気だったのかもしれませんが、先に一つしかないと言ってしまったのが悪かったですよね。素直に渡せば、傷付かずに済んだのに…。でも恋敵がみう先輩というのも辛いですよね。恋敵ではなく「尊敬する先輩」と否定したことで、なおさら辛い気持ちが伝わってきます。素直になれない、悪循環。余計に墓穴を掘ってしまいます。
でも、次回予告ではちょっとだけ立ち直っているみたいですね。愛理ちゃんの「今日だけよ、あいつのことで泣くのは」という言葉もありますし。ここから完全に立ち直るのが、彼女の成長だと思います。
あと少しだけ言いたいこと。第4話で初めて紗凪の本性が出た所についてですが、もう少し伏線があってもよかったかなと思いました。先輩と仲がいいという描写しかありませんでしたよね。学校などで瓜生君を一瞬睨むカットがあってもよかったかも。

UN-GO
第8話を見ていたら話全体についてのことが思い浮かんだので、二つほど。
一つ目は風守が「新十郎様」と呼んだことについて。今までは「貴方」と呼んでいました。梨江も「探偵さん」や「新十郎さん」と呼んでいたのに、第6話で急に「新十郎」と呼び捨てになっていましたね。
UN-GOって、各エピソードの間にある程度時間経過があると思うんですよね。少なくとも一日以上経過していると思われます(第6話と第7話は繋がっていますが)。特に第4話から第5話にかけては、泉や梨江たちが風守に対して疑問を持ったりしていなかった所から何らかの出来事があったのではないかと考えられます。話数が少ないということもありますが、基本一話完結で、一話見逃しても大丈夫な作りにしたかったとのことなので(時間変更も多いですし)、その辺りも関係してくるのかなと思いました。それぞれの話はある程度独立していて、でも全体を見てみると繋がっている作り。
二つ目はUN-GOという作品自体について。最初の頃から“UN-GOはトリックや犯人捜しなどの推理部分に重点を置いていない”とよく言われていました。“ホワイダニット”がメインの作品…私も前にそう書きました。でもここ数話を見ていると、新十郎の心情がメインなのではないかと思ってしまうんですよね。
いわゆる“探偵モノ”で主人公の障壁となる物は“ハウダニット”と“フーダニット”。UN-GOの場合、新十郎の障壁となる物は“新十郎自身”だと思うんです。特に第2話と第8話の場合はそうですよね。安の夢が永遠に叶わなくなってしまうことと、戦争がなかった世界が消えてしまうこと。新十郎はためらっていました。小説家も新十郎は幻想から抜け出せないだろうと踏んでいましたね。
第6話で「君が真実を明かすのは何のためだ?」と麟六に聞かれて答えられなかった新十郎。因果が“御霊のため”と言っていましたが、それは本心ではなく建前。第5話で推理を間違ってしまったことにより、“何のため”なのかを見失ってしまった気がします。犯人は白朗であるという決めつけ、正義感。それによって見えなくなってしまった真実。そして、真実から目をそらさなかった第8話(これについては、安の事件も影響しているのかもしれません)。新十郎の心情を追っていくと、(根本は変わらなくとも)変化しているのがわかります。
そして因果の能力。因果の能力が万能ではないことは最初からわかっています。むしろ因果の能力があることで真実から目を背けられない。新十郎は逃げられないんですよね。「彼は必ず真実を、御霊を私に捧げる」という因果の台詞の通り、逃げられない。
やはり、こういう楽しみ方をしたいなら映画を見た方がよかったですよね。ホワイダニットの部分で楽しむのも勿論間違いではありません。ですがこういう細かい所まで見よう見ようと思っている人間こそ、因果論を見てから新十郎の心情について楽しむべきですよね。早くBD、DVD出て欲しいです…。見たい…。

雑記

UN-GO第7話で、女性三人について気になったことをちょっとだけ整理してみました。ただ書き出しただけですが…。

伊沢紗代。
一番最初に新十郎を呼びに来たのは彼女でした。監督に頼まれた様子でしたね。
谷村に彼氏がいそうと言われていました。
映画の撮影中の新十郎を見る視線。あの一瞬だけ、役を演じているような表情ではなかった気がします。
「戦争なんて、おこっていない」と言っていました。この言葉に、新十郎は安堵していました。
監督の持っていたPADのマップに、彼女の番号だけが表示されていませんでした。囚人ではない?
監督が三人がいることを確認した時、「谷村、矢田、いるな?それに伊沢も。」と一人だけ最後に呼んでいました。
一人だけ、台本に文字が書かれている?もし一人だけ書かれているのなら、伊沢だけ決められた台詞を言っている(他の二人は自分の本心)?でもよく見てみると、矢田の台本にも文字が書かれているように見えるのですが…。見づらいので断定は出来ません。
戦争の話では、非日常ではなく日常を求めていました。一人だけ、戦争を否定しています。

谷村素子。
“お父さん”という言葉に疑問をもったり、“愛”という言葉が言えないことが気になります。でも恋についての話は普通に出来ているんですよね。“彼氏いるよね”など。
他にも“素子ちゃん”と呼ばれるのを嫌がっていたり、二人のことを知りたいと言っていました。三人が出会ってから、まだそんなに時間が経っていない?
映画の結末については、三人の中から一人だけ選ばれたいと言っていました。
役を演じている時は、走っている最中でもずっと笑っていました。
戦争の話では、非日常を望んでいるようでした。非日常の中で、愛や生きる意味を求めている?
監督の言葉に泣いていたのは彼女だけでした。
新十郎に台本を渡したのは彼女。でも三人と新十郎の間には隔たりがあるので、実際には渡していません。新十郎が開いた台本は白紙、実際ににぎっていたのは草でした。でもこれは、新十郎が監督の所へ行くきっかけ?

矢田寿美恵。
声が豊崎さん…兼役ですね。“兼役を犯人にするはずがない”という安易な考え方は危険かもしれません。
谷村が言葉をつっかえるたびに、彼女が教えてあげていました。谷村に“お嬢さん”と言われていましたが、“愛し合う”と言ったり、エロティックな台詞を与えられていることが気になります。
戦争の話では、人々は裁かれるべきだと言っていました。非日常を求めているというより、仕方がないことといった考え方?
市電に轢かれたみたいと最初に言ったのは彼女でした。

他に考えられることは、犯人が複数である可能性。
新十郎が本当に後ろから殴られて昏倒したのなら、複数で部屋まで運んだ可能性もあります。それに、バラバラにした死体を運ぶのも楽です。

一番気になるのは、監督のPADに一人だけ表示されてなかった伊沢です。他の二人に比べて、明らかにメイン的な扱いなんですよね。ただ犯人だと言える決定的な証拠がないので、断定は出来ませんが…。
他に気になったことは、新十郎の“映画という謎”という台詞。新十郎がカメラを覗いた時、カメラを覗いた後に現実とリンクするシーンが映っている気がします。映画=現実?
一応次回が終わってから“選挙殺人事件”を読もうと思っていたのですが、先に読んでも大丈夫なのでしょうか…?

雑記

昨日の夜中から熱が上がり、今朝38度を上回りまして病院へ行ってきました。インフルエンザではなく普通の風邪みたいなので一安心。熱も解熱剤を使わずに半日で平熱近くまで下がってきました。喉の痛みだけはなかなか治りませんが…。
熱が下がらなかったらアニメの感想どうしよう…なんて考えていましたが、大丈夫そうです。よかった!

そんなこんなで、布団にくるまりながら“アンゴウ”を読みました。
次回予告の因果の台詞の通り「ええ話や~!」でした。このお話、UN-GOと同じく“戦後”なんですね。物語全体に関わってくる重要な回なのでしょうか?次回予告を見る限り感動話では終わらなそうなのですが、どうアレンジされるのか楽しみです。

UN-GOの感想を巡っていたら“事件についての推理、登場人物の心情についての感想ばかりで、作品のテーマ、伝えたいこと、感じたことについての感想が少ない”という意見を見ました。
どうしてそういった感想があまりないのか。それは、この作品の根底にあるのが“坂口安吾”だから。坂口安吾について詳しくなければ、なかなかこの作品の真のテーマについては語れない。もしもアニメで表現したい、伝えたいことが坂口安吾の思想より少しずれたり、アレンジされていたりしても、坂口安吾について知らなくては違いがわかりません。アニメだけを見て思ったことを書くのも勿論いいと思います。でも、やはりある程度安吾について知らないと書きづらいです。敷居が高いです。だから、その辺りについての感想が少ないのかなと思いました。私自身も毎回原案となっている作品は読んでいますが、エッセイや台詞を引用している作品は全く読んでいないのでなかなか深くは語れずにいます。色々と読んでみたいんですけどね…。

雑記

明治開化安吾捕物帖の“幻の塔”を読みました。
UN-GO第5話の次回予告で因果が「声に出して読んじゃ駄目」と言っていたのは差別用語のせいでしょうか?古谷徹さんが島田爾朗役で出演されるみたいですね。楽しみです。
あと朝日新聞の記事も読みました。メディアの真実、本当の真実、そして自分が信じる真実…。大変興味深い内容でした。

第4話に関する他の方の感想を見て、面白いと思ったことが一つ。駒守が風守のぬいぐるみを壊した理由について。私は普通に“怒りにまかせて壊した。一種の口封じ。”と思ったのですが、“風守を守るため”という意見を見て吃驚。
駒守の「誰も傷つけたくなかった」という言葉は、R.A.Iのことではなく人間のこと。ロボットを汚す人たちを「気持ち悪い」と言ったのは、自分の作った特別な物を汚されるから。ロボットが人を傷つけることは否定しても、ロボットがロボットを傷つけることは肯定する。R.A.Iよりも人間の方が大事だから、「僕が好きにする」という言葉の通り風守を壊した。私はそう考えました。最後には「僕の作った“物”」と言っていましたね。
でも、もし風守を守るためにぬいぐるみを壊したとしたら?確かに、無線でも問題ない距離だと言ったのは駒守です。彼自身が一番、ぬいぐるみを壊しただけでは風守は消えないということをわかっていたはずです。風守を側に置いていた理由は明らかになっていません。新十郎に奉仕したように性的な使われ方をしていたという見方もありますが、奉仕する瞬間に声色が変わっています。それに首を絞められた瞬間にも、それに合わせた口調と台詞に変わっています。これは日常的に行われていたのではなく、ネットワークから“男性が喜ぶ行為”や“サディスティックな人への対応”をその都度拾ってきているのではないでしょうか?なので、駒守に性的玩具として扱われていたかどうかは明確にはわかりません。
駒守が風守のことを本当はどう思っていたかわからない以上、どちらともとれますね。もしも風守が犯人として捕まったら、なんらかの逃げ道から逃がしてやったかもしれません。自爆させたかもしれません。上手く逃がしたとしても、それは情ではなく自らの利益のためかもしれません。風守を側に置いていたのは自らの保身のためで、やはりただの使い捨ての駒だったかもしれません…。
色々な考え方ができますね。みなさんはどう考えましたか?

他にも少し気になったことがあります。それは第3話、第4話の前後編の作りについて。
公式サイトの予告を見れば前後編とわかりますが、予告を見なかった場合に前後編だとわかるのかどうか…。予告を見ていない方で、第3話だけで完結だと思った方が少なからずいたと思います。それは何故なのか?多分、燃えたのが人間だったのかロボットだったのかわかりにくかったからだと思います。後編で問題になったのは“燃えたのは誰なのか”という点でした。ですが、前編だけだと“風守のロボットだけが燃え、R.A.Iは残っている。つまり風守の自作自演。”だと勘違いした方もいたと思うんです。せめて、燃えたのが“二十代後半の日本人男性”という情報は前編で出してもよかったかなと思いました。細かい情報はなくても、せめて“あれは人間だった”くらいは入れて欲しかったです。

雑記

明治開化安吾捕物帖の“万引一家”と“覆面屋敷”を読みました。
どちらも御家のしきたりや嘘に翻弄された悲しいお話でした。UN-GO第3話のあらすじを見ると、“万引一家”よりも“覆面屋敷”がメインのようですが…はたして。
相関図を見ると、新十郎と因果の関係が“相棒”だったのが“?”に変わっていますね。二人の本当の関係は利害関係?主従関係?それとも…?

昨日も少し書きましたが、第2話の感想を見ると本当に面白い!
最後の安が歌おうとしたシーンについて。私は感想で書いた通り、“壊れた”と言われたのにもかかわらず、それでも自分の脚で立ち上がり歌を歌った。そんな希望に満ちあふれたシーンだと思ったのですが、あれは希望ではなく“執念”、あれでなお歌おうとするなんて“怖い”といった感想もあって面白いなと思いました。確かに彼女は人を殺してまで、人に罪をなすりつけてまで歌おうとしました。それだけでも物凄く執念深い人です。
でも、あの最後の顔はやはり“希望”だと思うんです。歌を奪われ、一生裁かれることのない罪を背負ってしまいましたが、あの最後の顔は決して壊れてなんていない。決して執念のみに捕らわれた顔ではない。私にはそう見えました。
そして歌った曲は“ブルー・ライト・ヨコハマ”。犯行のシーンが映し出された時に歌ったのは“ヴァルハラ処女ヶ丘”でした。犯行の自白であるのと同時に、歌詞に注意して聞いてみるとわかりますが戦争の曲だけあってを殺人を行う安自身と重なるような気がします。だからあのシーンでは“ヴァルハラ処女ヶ丘”を歌ったのだと思います。忌まわしい曲であっても、その曲自体が嫌いなわけではない…そんな気がします。嫌いならば、歌うはずがないですから。
彼女は、自分の状況と同じ歌を歌っている気がします。最後に“ブルー・ライト・ヨコハマ”を歌ったのは、禁じられている中で流行ったという背景があるから。
あの時、ブルー・ライト・ヨコハマが本当に街の中から聞こえてきているのでしょうか?もしかしたら、聞こえてはいないのでは?あのファイルはアップローダーに上げただけで、一部の人間にしか行き渡ってはいないような気がします。そんな状況で、ブルー・ライト・ヨコハマが屋外に響き渡るでしょうか?
だから最後に安がブルー・ライト・ヨコハマを歌おうとしたのは、曲が流れてきたからというより自分の意思のような気がします。自分の意思で日本語の曲が禁止されていたにも関わらず流行ったブルー・ライト・ヨコハマを歌った、自らを不の方向へ誘うヴァルハラ処女ヶ丘ではなくブルー・ライト・ヨコハマを歌った。だから“希望”だと思いました。

とまあ、ここまで書いておいてなんなんですが、これも一つの個人的な考察でしかありません。多分、自己完結しかしていないような気がします。“ヴァルハラ処女ヶ丘は自白のために歌っただけで、本当は口に出すのも嫌!最後に歌うわけがない!だからブルー・ライト・ヨコハマしか歌う物はないだろう。”とか言われてしまえばそれまでなので…。でも、狂った時に歌いそうな曲じゃありませんか?ヴァルハラ処女ヶ丘って。戦乙女だけあって血なまぐさいというか何というか…。

長々と書いてしまいましたが、次回も楽しみです。
ああ、でもまた第2話について書きたいことが出てきてしまいそう…。自由に考えるって本当に楽しいです。たとえ的外れなことだとしても…!

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プロフィール

人見

Author:人見
平成生まれゆとり系女子。
アニオタというよりは、ぬるオタ。最近はのんびり肩の力を抜いて見られるアニメが好きです。
アニメの感想は人それぞれ違うのが楽しい。

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