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君と僕。2 第13話「へそと凛」

ついに最終回です。1期と2期、あわせて全26話。その集大成…ですが、彼らの緩い青春はまだまだ続いていきます。短い青春のほんの一部、長い人生のほんの一瞬。

1期第1話の頃は、みんなはまだ二年生でした。あれから一年と一ヶ月、あっという間に三年生、気がつけば“受験生”。でもまだ受験生だという実感はなく、今までと同じ関係が続いています。
アバン、放課後にラーメン屋へ行こうと誘う千鶴。このラーメン屋の話題はアニメオリジナルです。原作ではこの次のお話で修学旅行へ行くことになっており、その修学旅行についての話をしています。ラーメンを食べに行くのではなく、千鶴が修学旅行用のかばんを買いに行く…という感じ。

要と悠太に茶道部のことを話しに行く春。そこで見た大学の資料。まだ何も決まっていない進路。みんなまだ進路について、自分の将来について考えていないと思っていたのに、自分だけ置いて行かれてしまうのではないか、みんながばらばらになってしまうのではないかという不安にかられます。思い出すのは2期の第5話、受験生の昭博と出会ったお話。あの時春は、夕日に向かって“みんなとずっと仲よく、同じ関係でいられますように”と願いました。(丁度その回の感想で、今回のお話に触れていましたね)あの時不安に思っていた“受験生”になった春。みんなとの関係が変わってしまう、みんなとの足並みが乱れてしまうかもしれない恐怖。
春の視線の先、大学の資料と模試の範囲。まだ直視することが出来ない、“受験生”という事実。

挿入された幼稚園時代のお話は、原作の1巻にある「男のたしなみ」。春が持っている“いちごマシュマロ”と、想像した“マシュマロ”のようなキス。面白い絡め方ですね。こうやて幼稚園時代のお話を入れてくるのは、まるで1期第1話のよう。あの頃想像したキスの感覚や味、それはいまだに未知の体験。マシュマロのようにふわっとしていて甘い、そんな幼い想像。自分の将来についてもまだまだ未知で、マシュマロのようにふわふわとしていて、定まりません。“あの頃とは違って”というけれど、自分自身はあの頃とさほど変わりません。確かに大人にさしかかる時期ですが、まだ心は“子供”のまま。
大学の資料を渡しにくる悠太。ここも原作にはありません。春の視線を見ていた悠太。いつも春を見守っている悠太だからこその行動。手渡されたその本、“将来”と向き合う春。

放課後、東先生に声をかけられる春。ここも原作にはない部分。その次の茉咲に声をかけられるシーンも、原作にはありません。東先生に“いつ先生になろうと思ったのか”を聞く春。東先生が先生になろうと思ったのは、大学受験の時。本当は今の時期に決めるのが好ましいこと。でも、なかなか将来のビジュアルがはっきりと見えている人はいません。何になりたいか決まっていても、挫折したり諦めてしまう人もいます。なりたいものが多すぎて、迷ってしまう人もいます。なりたいものが何一つ思いつかず、悩む人もいます。でもそれって、当たり前のこと。“これになりたい”と一途に思える人は、なかなかいません。だから、教師になりたいと早くから思うことが出来た東先生は凄い人。その凄い例を、あたかも全ての大人がそうであるかのように受け取ってしまった春は、いっそう悩んでしまいます。
茶道室の前、茉咲に声をかけられる春。茉咲が春に聞いた、“どうして茶道部に入ったのか”。学校の部活、それは進路ほどではないにせよ、自分が選択するものです。春の答えは「なんとなく」でした。でも、この「なんとなく」も大切なこと。曖昧な理由でも、選択し、体験したことが自分の糧となります。それに選択したことにより、新たな選択肢が生まれるかもしれません。物事の転機となるかもしれません。春はこの「なんとなく」を、“ぼんやり”だと考えました。でも人生の選択なんて、“案外そんなもの”。
今回、場面転換の演出が面白いですね。ぼーっとしている所から、次の場面に切り替わる演出。そのまま、前の場面と繋がっているかのような場面転換です。気づかぬうちに流れる時間。それはまるで、あっという間に過ぎ去る人生のよう。

茶道部に集まったみんな。1期第1話でも、祐希を部活に入れるために茶道室を訪れていましたね。でも、あの時はまだいなかった千鶴。
初登場、お茶の作法を教えてくれる十(つなし)先生。原作では、今後のお話にも出てくるキャラクターです。「和敬清寂」、どんなことがあっても、動じない心のゆとりを大切にしなさいということ。千鶴達に対してだけではなく、東先生と茉咲の言葉に困惑する春、そんな彼への言葉でもあります。

和菓子が美味しかったというだけで、お茶の道に進むと言った千鶴。確かに千鶴の場合無理である可能性の方が高い(というか、ほとんど無理)ですが、些細なきっかけでも“興味を持つ”ということは大切なこと。春だって「なんとなく」で茶道部に入ったのですから。そうやって興味を持ち、チャレンジしてみることはいいことです。自分に向いているか向いていないか、面白いか面白くないかは、やってから決めても間違いではありません。そして一回諦めてしまっても、もう一回チャレンジしてみることも悪くはないのです。彼らの人生は、まだまだ長い。
十先生がお茶の先生になろうと思ったのはいつなのか、春の質問。自分の家が茶道の教室をやっていたというのは、ちょっとしたきっかけ。きっかけであって、他にもいくつもの選択があったと思います。そんなたくさんの将来の選択から茶道を選択したのも、些細なきっかけ。春が「なんとなく」茶道部へ入ったのと同じ、千鶴が「なんとなく」お茶の道を進もうと考えたのと同じ。強いて言うなら勉強よりも得意だったから。でもそれは、後付けの理由。東先生とは対照的な答えです。「案外そんなもの」で決まる将来。高校卒業後の進路、高校卒業後に就職する人もいますが、大学などに通うなら、まだ大人の一歩手前。漠然とスキルアップ出来そうな大学を選び、その後将来を決めたっていいんです。就職だって、自分の思い通りにはいかないかもしれません。そうしたら、別の仕事を体験してもいいんです。自分には全く合わないかもしれない、もしかしたら自分に向いているかもしれない。一度しかない人生、どうなるか予想の出来ない自分の人生。今選択したことで、未来が全て変わってしまうわけではありません。思い描いた未来も、些細なきっかけで全然別な未来に変わってしまうかもしれません。だからこそ難しく、面白い“人生”。無限の可能性を秘めた、若いみんな。
大人になれば、みんな“しっかりした人”になれるのかといえばそうではなく、大人になっても子供の頃の自分とどう違うのかわからない。体が大きくなり、幼い頃よりも知識を身につけて…それでも、自分の“心”が変化したのかどうかはわかりません。“子供”と“大人”、案外違いのない両者。子供が大人になる時に心の変化を感じないのであれば、みんなが同じ“仲よしでいたい”という思いを持てば関係が壊れることはありません。
十先生を見る春、それを見詰める悠太。春の悩みを悟った悠太。答えを教えるのではなく、答えを出すまで見守る悠太。

最後、春と悠太を待っていた三人。これも原作にはない場面です。原作では春の「大変結構です」という台詞で終わり。悩んでいる春を置いていかないで、待っているみんな。移動する景色は、時間の流れ。過ぎ去っていった幼い日々。流れる時間はまってくれないけれど、大切な友達は待っていてくれます。自分が立ち止まってしまっても、ずっと待っていてくれます。変わってしまう景色、それでも変わらない関係。それは、これからも、ずっと…。

アニメは終わってしまっても、原作はまだまだ続いています。まだまだ、彼らの青春は続いていきます。彼らの関係は、もっともっと続いていきます。最初は不安だったアニメ化ですが、本当に丁寧に作られていてとてもよかったです。監督が神戸監督で本当によかった!心からそう思いました。
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君と僕。2 第12話「赤裸々」

久しぶりの登場となる、しずねえと日紗子ちゃん。今回は1期から描かれていた“要の性格”、“要の好きな人”、そしてみんなのことを見つめる“しずねえの視線”…その全てが一つになるお話。要の視線と、それぞれの足元、立ち位置がポイント。

アバン、屋上にいる五人。右側に千鶴と要、左側に春と悠太と祐希がいます。右側は建物の影になる場所、そこにいる千鶴と要。二人に共通することは、この2期で“自分の思いを伝える立場”にいること。綺麗なハッピーエンドを迎えることが出来ない二人。それでも一歩先へ、笑顔で進むことが出来る二人。

日紗子ちゃん達の家に訪れる要。着替えにもたつき、ぼさぼさの髪で要を迎える日紗子ちゃん。ここできちんと日紗子ちゃんの服が変わっていて一安心。服装に悩み着替えても、要の視線は髪の毛へ。ぼさぼさの髪について指摘する要。ですが、すぐに要の視線は“しずねえ”を探します。日紗子ちゃんの背後から来るしずねえ。
台所で料理の手伝いをさせられる要。要の視線はやはり“しずねえ”へ。しずねえの服の袖をまくってあげる要、視線をそらす日紗子ちゃん。日紗子ちゃんのぼさぼさの髪には気づいても、切りすぎた前髪、要のために着替えた服には何も言わなかった要。二人を見る“視線”の違い。
昔はよく一緒にご飯を食べていた三人。高校生になって社会人になって、こうやって一緒に食べる機会が減ってしまった三人。100点のテストを見せに来なくなった要。どちらも時間の流れがそうさせたこと。要が頑張るのは、しずねえに褒めてもらいたいから。今だって、テストを見せればきっと褒めてもらえるはずです。でももう高校生なのだから、そんなことで褒めてもらう、褒めてもらおうとすることは恥ずかしい。でもそれ以外に、成長したことによる変化もあると思います。頑張ろうと思ったきっかけはしずねえでしたが、今は少し違います。“しずねえのため”から、“みんなのため”へ。“褒めてもらう”から、“当たり前”へ。完璧でいなくてはならない、周りから完璧だと思われなくてはいけない…そこが要のいい所であり、悪い所。でもそれを理解し、フォローしてくれる友達がいます。
「結婚するの」…しずねえの言葉に泳ぐ要の視線。今までの、恋のような憧れのような視線。直視することの出来ないしずねえの姿。動揺。かき混ぜられるカレーのように、収拾がつかずどろどろと渦を巻く心。

心ここにあらずな要。そんな要の姿を見る四人。あることないこと話している四人ですが、要のことを心配しているのは本当。母親がいないことに寂しさを感じていても、そうではなくても、ただいつもの要に戻って欲しいというのが四人の考えです。
日紗子ちゃん達の家に押しかけるみんな。日紗子ちゃんが要に「ほっとしてるくせに」と言った通り、要はみんながついてきてくれたことで結果的に救われています。強引で勘違いなお節介。でもそれがみんなのいい所であり、要をフォローするのに必要なこと。しずねえと目が合う要。話をしながらもそらす視線。いつも通り接するしずねえと、まだ気持ちの整理がつかない要。

タマネギを切る千鶴と祐希と要。千鶴と祐希の流す涙。「要は涙なんか流さないでしょ?」と、交代を要求する二人。その通り、要は悲しくても涙を流さないんです。要を元気づけるために、四人は押しかけてきました。タマネギの涙は、要が泣かない代わりの涙とも取れます。
そんなやり取りを見つめるしずねえ。夏祭りの花火の時と文化祭の時と同じ、みんなの輪の外側からのほほえみ。大人と子供という、目に見えない境界線。子供時代を懐かしむ大人。まだ25歳、“もう”25歳。
醤油を取りに行く要。電気のついていない自分の家。窓の外に見える光、賑やかな隣の家。暗い中に一人いる時間、それは見つめ直す時間。頭の中に響く声、あの時見たしずねえの表情。結婚報告をするしずねえの顔、あの時見た顔よりも笑っているように感じます。結婚は喜ばしいこと。でも、素直に喜ぶことが出来ない自分。どんどん遠くへ離れていってしまう感覚。みんながいないのだから、一人きりなのだから泣いてもいいのに、それでも泣くことのない要。

最初から叶うはずがないと諦めていた恋。わかっていたことなのに、覚悟していたことなのに、実際に叶わないとわかってしまうとどうすればいいのかわからなくなってしまう。今自分がどんな気持ちなのかすら、わからなくなってしまう。今思っているのは“悲しい”という気持ち。それを理解することも、表に出すことも出来ない要。だから、要の代わりに泣いた日紗子ちゃん。ここの二人のやり取り、最初に原作を読んだ時アニメになったらどうなるんだろう…と色々考えたシーンなので、今回見ることが出来て本当によかったです。日紗子ちゃんの台詞がどのくらいの怒鳴り方なのか、どのくらいの気持ちのぶつけ方なのかとか、その後の要の台詞は淡々とした感じなのか、ぶっきらぼうな感じなのかとか。こんな感じで来たか!と声を聞いて納得したり、さらにそこから考えたりして…面白い。

買い物に行く要としずねえ。ぶつかってしまった若い夫婦。試食のおばちゃんに「仲いいねえ」と言われた二人。両者の姿は似ていて、それでいて違う関係。もしも自分に勇気があれば、一歩を踏み出すことが出来ていたならば、もしかしたら一緒になることも出来ていたのではないかという空想。でも、叶わない現実。

土手に並んで座る二人。頭の中をめぐる、過去の思い出。子供の頃から、負けることのなかった草ずもう。要はしずねえに、結婚相手について聞きます。そこで出てきたのは「優しい人」、そして「自分以外の人みんなに優しい人」とも。それはまさしく、要が一生懸命なろうとしていた姿。必死に努力し、近づこうとしていた理想。1期第6話、かおり先生と東先生のやり取りを見て泣いた、あの幼い日のよう。
要は不器用。泣きたい時に泣けないくらい、不器用。本当は全部知っていたしずねえ。何でも完璧に出来るのは当たり前ではなくて、裏で人一倍努力しているから。それを悟られないように、必死でもがいてきた要。でも、要をよく知る人物なら誰でも気づくこと。春、悠太、祐希、千鶴だって、薄々気がついていること。そのことに気づけないのも、不器用。しずねえに褒めてもらうために頑張っていた要。今はしずねえのためだけではなく、みんなのために頑張る要。目的が変わっても、今の自分があるのはしずねえのおかげです。
しずねえに“伝えたかったこと”。それは愛の告白ではなくて、しずねえのために頑張っていたという事実。褒めてくれることが、笑ってくれることが嬉しかった、感謝の気持ち。幼い日に触れた腕、服の袖をまくってあげた動作と同じ。告白も、付き合おうとも思っていなかったけれど、“好き”。草ずもう、負けてしまった要。陰の努力と目的、それは他人には見られたくない恥ずかしいもの。それを見透かされ、自分の思いをさらけ出すことが出来た要。“完璧な自分”ではない、“本当の自分”をさらけ出すことが出来たからこその“負け”。
子供達に茶化される二人。幼い子供からみれば、子供である要ももう“大人”。しずねえに思いを伝えたことで、“大人”へと近づいた要。でもまだまだ子供。大人になっても、子供の部分が消えるわけではありません。大人の立ち位置にいる、しずねえだって。目頭を押さえる、不器用な要。オムライスは“子供”、親子丼は“大人”。選んだのは、日紗子ちゃんの言葉で適当に選んだオムライスではなく“親子丼”。

愛の告白は出来なかったけれど、伝えられた気持ち。前へと進むことが出来た清々しさ。日紗子ちゃんの前髪を伸ばす決意。前髪を伸ばすことは、子供から大人へと変わりゆく行為。そして、日紗子ちゃんは今までしずねえがいた場所へ。要を見る日紗子ちゃんと、日紗子ちゃんを見る要。ようやく交わった二人の視線。動き始める、二人のこれから。

来週はいよいよ最終回。まさか最後「へそと凜」で終わるとは!2期で描かれてきた春の考え方がポイントになります。そして、最終回ですが新キャラも登場しますよ。楽しみですが、少し寂しくもありますね。

君と僕。2 第11話「sugar baby,fly baby」

今回は茉咲についてのお話です。茉咲が春達と出会ってから約一年。春達とのふれ合い、そして千鶴との関係によって少しずつほぐれていった茉咲の心。今回、原作からの変更点と松下君の立場について注目してみると面白いです。

五人にとって18回目の春。1期第1話と同じ、桜の花。でもあの頃とは違う、千鶴の加わった光景。それでも、根本的な部分は何も変わらないみんな。
アバンの屋上のシーンは原作の第8巻にある「ボクらの18回目の春に」より。このお話は、同じく第8巻にある「sugar baby,fly baby」の一つ前のお話です。原作の「ボクらの18回目の春に」は、身体測定のお話。一年間の成長と、ほんの少しだけ将来について考えるお話です。猫にも犬にも見える雲、それはいくつもの可能性を秘めた若い自分達。原作での“雲”は自分達の“これから”を表す物として描かれていましたが、アニメでは“変わりゆくもの”として描かれているように感じました。人と人とのふれ合いにより、変わっていく心。

じゃんけんで負け、体育委員になった茉咲。茉咲が春に「絶対応援行くね」と行った時の、千鶴の自分のことを指さすジェスチャー。これ、原作にはありません。前回が千鶴と茉咲の話だったからでしょう。“春だけじゃなくて自分のことも応援して欲しい”…“好き”という気持ちを伝え、気まずい雰囲気から今まで通りに戻れたからこそ、笑って表現出来る気持ち。
重そうに模造紙を抱える茉咲。その上、マジックも借りに行かなければなりません。悠太に「クラスの誰かに手伝ってもらえばよかったのに」と言われますが、茉咲は人に頼ることが出来ません。全部自分で背負おうとしてしまいます。背は低いけれど、それ故に高いプライド。去っていく茉咲を見て、要は「あいつってクラスに仲いい奴とかいんの?」と言います。その通り、茉咲には同学年の友達がいません。仲がいいのはこの五人だけ。だから、頻繁に五人の元にやってくるんですよね。そもそも茉咲が春に懐いたのは、春が無理矢理茉咲の心の中に入ってきたからです。千鶴も同じく、遠慮しないからこそ強引に心の中へ踏み込むことが出来ました。そうやって相手の方から強引に近づかないと、自分から他人へと歩み寄ることが出来ないんですよね。どうしても他人との間に壁を作ってしまいます。

茉咲と同じく、体育委員の松下君。今回、“茉咲”と“クラスの女の子達”が対照的に描かれていますね。どの種目に出るか決められない女の子達と、空いている種目に即決する茉咲。なかよしグループで種目を決めようとすると、“この種目に出たい”“この種目は嫌”“人数が合わない”など、色々な意見が出てなかなか決まりません。逆に茉咲は種目へのこだわりはなく、なおかつグループでは参加出来ない、あまり埋まりそうのない一人だけ空いているドッジボールを選びました。このシーンで思ったことは、松下君について。原作では女の子達と茉咲を比較し、茉咲のことを心配するモノローグが入ります。ですがアニメではモノローグが削られ、松下君の両者を見比べる視線で説明されていますね。

バレーの試合、4組の要と悠太対3組の春と千鶴と祐希。この試合で好きなのが、悠太と祐希のやり取り。祐希に対して悠太の放ったアタック、してやったりという笑み。それは悠太から祐希への挑発。その挑発に乗った祐希、お返しのアタック。悠太が挑発したのは、祐希が無気力でやる気がないから。
その後この試合の勝敗について描かれますが、原作にはその勝敗のシーンはありません。悠太の挑発に乗り、勝った祐希。今までは無気力だったけれど、“全力”を出して戦った祐希。要の「何であんなにやる気になってんだよ」という言葉に、悠太は「さあ?」とほほえみながら答えます。原作の最新刊には、成長した祐希に悠太がほほえむシーンが出てきます。わがままばかり言っていた弟、いつまでも子供だと思っていた弟の成長。嬉しくもあり、少し寂しくもある成長。そんな後のお話に通じるものがありますね。もしかしたら、アニメではそこまで描けないので今回のシーンを入れてきたのかな…と思います。茉咲と共通するのは“成長”。

ソフトテニスの審判。ここでも出てくる“茉咲”と“クラスの女の子”の対比。やはり女の子達はなかなか意見がまとまらず、茉咲は即座に引き受けます。審判をする茉咲。その姿に見とれる松下君。どうして見とれたかというと、格好よかったから。クラスの女の子達と違い、何でも潔く即決する茉咲。“いつもより少しだけ大きく”感じたのは、そんな茉咲に憧れを抱いたから。茉咲は、松下君にないものを持っています。

賞状を作る茉咲と松下君。この二人は“対”の関係。二人とも、春と祐希という“憧れの先輩がいる”という共通点があります。高い高いジャンプ、それは自分達にはまだまだ届かない高さ。憧れの高さ。
濡れてしまった表彰状。自分達の力だけではどうしようもない事態の発生。そこでドライヤー、つまり人の手を借ります。これは茉咲が審判をやってくれたことへのお返し。茉咲は恩を売るなどということは考えず、ただ自分の手が空いていたから引き受けました。情けは人のためならず。自分へと巡り戻ってくることと、“ありがとう”の気持ち。ずっと他人に手伝われることを嫌がっていた茉咲。自分で出来ることは全て自分でなんとかする。人の手を借りなくても、自分の力でなんとか出来る。そう、意地になっていました。でも、人の手を借りなければどうにもならない時があります。自分だけで何とか出来るかもしれないけれど、人を頼った方が確実なことだってあります。そして、そこから生まれる“コミュニケーション”。
時計を見る茉咲。間に合わなくなってしまうかもしれない、春達の試合。茉咲は自分の意見を押し殺しますが、松下君は女の子達に賞状を乾かすことを任せます。自分の意志を優先させる松下君。このシーン、原作にはないんですよね。原作では、賞状を乾かしているシーンでフェードアウトしてしまいます。なので“みんなで一緒に賞状を乾かし、それが終わってから試合を見に行った”という風に取れるシーンになっているんです。アニメと原作との決定的な違い。では、アニメでは何故“頼む”シーンを入れたのでしょうか?それは多分、“審判をしている茉咲に見とれた松下君”と“茉咲と松下君の立ち位置”が関係していると思います。茉咲と松下君の関係は、同じ“憧れ”を持つ似たもの同士。ですが、それだけではありません。この二人は、お互いに“持っていないものを持っている”関係でもあるんです。松下君が茉咲に見とれたのと同じように、松下君は茉咲の出来ない“人に頼ること”が出来ます。アニメでは、お互いに補い合える対照的な存在として描きたかったのでは…と思います。
補い合える存在だからこそ、同じ憧れの気持ちを持つ同士だからこそ、生まれる関係。高い高いジャンプ、憧れの高みへ。

日直の仕事をする茉咲。今までは、何でも一人でこなそうとしてきました。でも、お互いに助け合うことで生まれるコミュニケーションがあります。そして茉咲は、そこから生まれる“ありがとう”の温かさを知りました。一瞬悠太を見る茉咲。1期第2話、茉咲の気持ちに気づいたのは悠太でした。ずっと茉咲のことを見守ってきた悠太。“大丈夫だよ、頑張れ頑張れ”…悠太のモノローグ。この“大丈夫”は、1期第2話の春へ向けたモノローグと通じるものがありますね。時間と風の流れで、形を変えていく雲。そんな変わりゆく茉咲の姿を見守る悠太。
茉咲の背中を見送る悠太。その背後に見えるのは“要”。何故要なのかというと、それは次回が要のお話だから。次は要が“頑張る”番です。

というわけで、次回はお待たせしました要のお話。2期ではこれまでメインのお話がありませんでしたが、ようやくです。1期の文化祭の時に出てきた“要の性格”や、2期の第1話で出てきた“要の好きな人”がポイントになってきますよ。かなり人気があるお話だと思うので、楽しみです。

そうそう、今回所々に高橋さんが出てきましたよね。あれも原作にはないシーンなのですが、あのシーンについては明日以降まとめようかなと思っています。

君と僕。2 第10話「cherry」

今回のお話で、千鶴と茉咲の関係については一つの区切りとなります。2期第2話から続く“海のイメージ”の終着点。

サンタの格好をしたくまのキーホルダーと、窓から見える桜の木。枝の先にある桜のつぼみ。冬から春へ、季節の移り変わり。それと、サンタの格好をしたくまのキーホルダーは第2話に出てきたアイテムです。海のイメージの“始まり”のアイテム。それは春からのプレゼントであり、千鶴が頑張って取り返した物でもあります。

千鶴の告白により、ぎくしゃくしてしまっている二人。千鶴のことを避けてしまう茉咲。そんな茉咲を呼び止める祐希。この「千鶴がビスケット持ってるよ」という祐希の台詞、原作では悠太が言っているんですよね。千鶴と茉咲の恋の行方を見守っているのは、悠太ではなく祐希。第7話でも、悩んでいる千鶴に声をかけたのは祐希でした。ちょっかいのような形で背中を押したり、無理矢理引き合わせたり…強引だけれど祐希らしいやり方。いつもは無気力なのに何故千鶴のことに関しては世話を焼くのかというと、それは祐希にとって一番の友達が千鶴だから。1期の第3話で描かれている通りです。ちょっとだけ他の人よりも特別な繋がり方。
見えなくなってしまった茉咲の表情。向かい合い、顔を合わせることの出来ない二人。

カメラで写真を撮り合うみんな。もうすぐ高校三年生、でも今はまだ二年生。まだ受験に悩むことなく、気楽に馬鹿なことが出来る“今”。そんな“今”を切り取る写真。そんな今だからこそ出来ること。
千鶴と茉咲の写真を撮る祐希。祐希は今の状況を完全に把握しているわけではないけれど、二人の仲を取り持とうとしているのは確かです。強引でお節介な祐希。二人が写った写真。左に茉咲、右に千鶴。隣り合う二人。
写真を撮る時、目をつぶってしまった茉咲。目をつぶってしまった写真は、春に見られたくない表情。千鶴が今まで見てきた表情、それは春に見せないようにしていた表情。千鶴だけが見た表情。茉咲はずっと、春によく見られようとして笑顔を作ってきました。その裏で流した涙、情けない泣き顔。そんな春に見せられない顔を見てきた千鶴。春に見せられない顔、つまり春が見たことのない顔。そんな特別な表情や仕草に惹かれた千鶴。でも、今の表情は見えないまま。

卒業式のシーン。原作ではダイジェストだけであっという間に終わってしまいますが、アニメではちょっと長目でしたね。卒業式の最中、先生にパーカーについて怒られるシーンがありますが、原作にはありません。原作ではその後の茉咲の腕を引いたシーンで先生に発見され、怒られています。ちなみに、前半の校門で先生に怒られるシーンも原作にはありません。この辺り、かなり丁寧に描かれています。今だから出来るやんちゃ。
茉咲と一緒に逃げ出した千鶴。そんな千鶴の行方を聞く春と、それに答える双子と要。春の台詞、「早くしないと、卒業生いなくなっちゃうのに」。早くしないと卒業生が行ってしまうというそのままの意味以外に、卒業生がいなくなると今度は自分たちが三年生になる…そんな意味も込められているように思えます。冬から春へ季節が過ぎ去るように、二年生から三年生、受験生になってしまう自分たち。止められない時間。春だからこそ考えてしまう不安。

千鶴の手元にある、目をつぶってしまった茉咲の写真。春に見せられない“変な顔”。千鶴になら見せられる表情。
今の茉咲がどんな表情をしているのかわからない千鶴。でも、それは茉咲も同じ。今までどんな顔で接していたのか、これからどんな顔をすればいいのかわからない。千鶴が茉咲の表情を見ることが出来ないというより、茉咲が千鶴に対してどんな表情を見せればいいのかわからない、表情を見せることが出来ない状況。そんな茉咲に「今まで通りでいいよ」と言った千鶴。今まで千鶴が見てきた茉咲の表情、それは泣き顔、照れた顔、笑った顔、怒った顔…たくさんの特別な表情。春に向けられていた笑顔は、千鶴への笑顔とは違うもの。でもみんなの知らないたくさんの表情を、千鶴は見てきました。だから、今まで見せた表情は全部“いつも通り”。
告白によって、千鶴のことばかり考えてしまう茉咲。今までは春のことで頭がいっぱいだったのに。今茉咲の頭の中には、千鶴があふれています。それはある意味、贅沢な“独り占め”。それが今の精一杯の幸せ。
第2話から続く海のイメージ。椅子を運ぶ千鶴。椅子は“居場所”。茉咲の居場所を作ってあげる千鶴。そこに座る茉咲。千鶴の隣、それが茉咲の今の居場所。二人の見つめる“海”。この“海”は何なのか。プリズムのように光る海面。それはまぶしい青春、二人の行き先。

最後、原作との決定的な違いが一つ。それは、窓の外を見つめる二人の姿。原作では文化祭のお話の最後、“窓の外を見ている茉咲と春”との対比になっています。今回のAパートの終わりに出てきたシーンですね。1期第10話の文化祭、あの時初めて自分の気持ちに気づいた千鶴。窓の外を見る二人を見ながら、春のポジションをうらやんだ千鶴。その場所に今、千鶴が立っている…原作はそういった感じでまとめられています。でもアニメでは、第2話から続いてきた海のイメージでまとめられていました。文化祭のシーンを出さなかったのは、お話が1期と2期で分かれてしまっているからかもしれません。でも、何故海のイメージだったのでしょうか。この海のイメージ、今回の終わりを見て千鶴の心情だけではなく茉咲の心情も表しているような気がしました。この海のイメージが出たのは、茉咲の心が動いた時からです。そして、今回出てきた“椅子”。“椅子”は“居場所”。この“居場所”って、ただ千鶴の隣というだけの意味ではないように感じます。茉咲は元々人に助けられることが嫌で、わざと人を遠ざける女の子でした。でもそれが五人と出会い、ふれあったことで少しずつ変化してきています。今は目に見えなくても、茉咲の心は少しずつ変わってきています。だからこの茉咲の“居場所”は、そもそも居づらかった学校の中、みんなの中での“居場所”でもあるような気がします。これは、次回のお話に繋がってくる部分。
千鶴が茉咲のことを好きになったのは、茉咲の普段は見せない表情に惹かれたから。茉咲が春を好きになったのは、普段は一回拒否をすれば自分から遠ざかるのに、それでもなお自分の中へと入り込んできたから。千鶴も春と同じように、でもちょっと春よりも乱暴に、茉咲の中へ入り込んできました。でも茉咲にとって、そうやって強引に入り込んできてくれる人こそが特別な存在です。
徐々にほころび始めた桜のつぼみ。その花が開けば春、新しい年度の始まり。そして二人の恋も、まだほころび始めたばかりのつぼみ。

次回は茉咲のお話。恋愛のお話はここまでですが、茉咲という“人物”について、そして初登場時からの成長や変化についてが描かれると思います。そして、松下君も出ますよ。楽しみ。

君と僕。2 第9話「mix juice」

今回は初めてアルバイトをする祐希のお話。恋愛のお話が続いていた中で、ちょっと一休みなギャグ回。祐希回かと思いきや、実は全員に関係してくるお話でもあります。キーワードである“ミックスジュース”とは、いったい何なのか。

自販機でお茶を買う要。春の「前にもこんな話しませんでしたっけ?」という言葉の通り、1期第1話でも同じようなやり取りがありましたね。その時はまだいなかった千鶴。今ではすっかりみんなの中に溶け込んでいる千鶴。その手に握られた“ミックスジュース”。

ファミレスでアルバイトをする祐希。相変わらず無愛想ですが、学生で、初めてのアルバイトで、しかも初日ならまあまあ仕方のないこと。ただ、それを改善しようという向上心が全くもってないのは困りものです。
そんな祐希の様子を見に来たみんな。アルバイトをしないかと提案したのは春で、それを後押ししたのはみんなです。意見を出し合ったり、その意見をまとめたり、一人をみんなが心配し合ったり、同じ目的のためにみんな一緒に行動したり…五人の不思議な繋がり方が見えてくると思います。本当に仲がよく、固く結ばれ合った五人。

ファミレスの店長。タバコを吸い、ヒゲを生やした強面な店長。前回書いた“気になる描写”というのがこの“タバコ”について。このタバコは店長の“怖さ”を表現する小道具であり、お金を稼ぐことが出来る“大人”を表現する小道具でもあります。ですが、原作を読んだ時もこのタバコの表現が苦手だったんですよね。五人の前、ホールでタバコを吸っているシーン。五人に威圧感を感じさせるためのタバコだということはわかるのですが、飲食店で、しかも店長が…となると、どうしても気になってしまいます。店長は更衣室の方向から出てきて、話し終わるとレジの方向に歩いて行きました。これ、休憩していたら祐希のサボっている声が聞こえて注意しに行き、注意し終わってから一旦来た道を戻るという風にした方がよかったのでは?もしくは、タバコを消す動作を入れるとか。五人の前以外でタバコを吸っているシーンはありません。それに五人の前から去る時、すでにタバコを吸っていません。この辺り、もう少し丁寧に描いた方が印象がよかったかな…と思います。店長、決して悪い人ではないので。

祐希の代わりに働く悠太。仕事をきっちりこなし、接客態度もかなり丁寧。その姿はまるで、悠太が想像した“店長の手によって成長した祐希の姿”そのもの。祐希に対する、“こうであって欲しい”というお手本のようです。でも、弟の失敗のために代わりに働くというのはちょっと甘過ぎな気もします。店長のような厳しい態度にはなれない兄。
働く悠太と店長の視線。てきぱきと働く姿に、祐希ではないと気づく店長。原作では、バイト中に店長が悠太と祐希が入れ替わっていることに気づくという描写はありません。

ミックスジュースを間違って持ってきたのは祐希です。飲んでしまったのは千鶴ですが、主に責任を負うべきなのは働いている祐希。怒られるかもしれない、給料を減らされてしまうかもしれない…それでも雇ってもらっている、仕事である以上素直に謝るべきでした。素直に謝った方が、給料がゼロになってしまうことはなかったと思います。でも、それは結果論。自分の力でカバー出来るのならば、それが一番いい方法です。けれど、失敗してしまったミックスジュース。
ミックスジュースとは何なのか。それは悠太、祐希、要、春、千鶴の五人のこと。失敗したのは祐希だけれど、それをカバーしようとしたのは五人全員です。一人が責任を負えばいいのに、みんなで責任を負おうとしているんですよね。五人の間にある、不思議な団結力。五つの個性が混ざり合い一つになった、ミックスジュースのような関係。
店長に謝り、時給を下げないでくれと頼む春。誰だって最初は不慣れで、上手くいかない。だから、これからのために頑張る“今”を見て欲しい。その頑張っている“今”の姿を見てもらうために頑張ったのは、紛れもなく“みんな”です。悠太の働く姿、春の謝る姿、ミキサーと材料を担いできたみんなの姿を見て、全てを悟った店長。

店長の言った「浅羽“くん”」。今回、店長の一番最初の台詞は「浅羽」でした。最後に何故“くん”をつけたのか。仕事をクビになり、“店長”と“アルバイト”という関係ではなくなったから。それと、タバコを吸う“大人”とお金を稼げない“子供”だから。

ミックスジュースはみんなのこと。今回はそんな“みんなの関係”に注目して見てきました。では、今回のお話を“みんなのお話”ではなく、“祐希のお話”として捉えた場合どうなるのか。
初めてのアルバイト、そして失敗。もともと無愛想で接客業には向いていなかったけれど、そもそも仕事とはそう簡単に選り好み出来ないものでもあります。嫌いでもやらなきゃいけない場面はたくさんあります。それに祐希の場合、自分に合う仕事を見つける方が難しいです。確かにビジュアル的にはホストに向いているかもしれないけれど、ホストとして“仕事が出来るか”どうかはわかりません。向いている向いていないに係わらず、店長の言う通り「お金を稼ぐのって大変」なんです。店長だって、祐希が言った通り「ファミレスより合う仕事」があるかもしれません。それでも、今はファミレスで働いています。そうやってお金を稼いでいます。
お金を稼ぐことが出来なかった祐希。ここで、過去のとあるシーンを思い出すかもしれません。1期第11話、花代さんが学食でナンパしてきた学生をあしらったシーンです。あの時の花代さんの台詞、「女誘うなら自分で稼げるようになってからにするのね」。この台詞と、お金を稼げなかった祐希。この二つを並べると、やはり祐希ってまだまだ“ガキんちょ”。それに花代さんに渡したお皿は、祐希一人の力(お金)で手に入れた物ではありません。最後のシールは祐希の力ですが、みんなの協力と、何より花代さんの協力があったからこそ手に入れられたお皿です。そう考えると、あの別れは仕方のないものだったのかもしれないと思ってしまいますね。

バイトの報酬。貴重な体験は出来たかもしれないけれど、現物としては何も残りませんでした。その貴重な体験とは“働くこと”だけではなく、“失敗すること”や“それをどうやってカバーするか思案すること”、そして“みんなで協力し合うこと”でもあります。仲のいいみんなと協力したり、馬鹿をやったりすることは、学生時代じゃないとなかなか体験出来ないことです。子供だからこそ体験出来ること。そして、子供だからこそ笑って許されること。
そんな祐希への唯一のご褒美、お姫様からのキス。人違いだけれど、祐希への報酬です。子供にとってのキスは、大人に近づくためのちょっと背伸びした行為。失敗して、怒られて…大人にほんの少しだけ近づいた祐希。そんな祐希が、五人の中で一番最初にキスを済ませました。五人の中で、一番大人に近づいた祐希。でもまだまだ、どんぐりの背比べです。

来週は千鶴と茉咲のお話。千鶴の告白のその後です。二人の関係について、丁度一つの区切りとなるお話なので、アニメでやるのはここまでかな…と思います。楽しみ。

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Author:人見
平成生まれゆとり系女子。
アニオタというよりは、ぬるオタ。最近はのんびり肩の力を抜いて見られるアニメが好きです。
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