スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

お知らせ

先日の告知通り、つり球最終回の感想は明日の更新予定となります。すみません。

6月30日追記。まだごたごたしておりまして、更新は明日か明後日の予定になります。ご了承ください。
7月2日追記。
スポンサーサイト

君と僕。2 第13話「へそと凛」

ついに最終回です。1期と2期、あわせて全26話。その集大成…ですが、彼らの緩い青春はまだまだ続いていきます。短い青春のほんの一部、長い人生のほんの一瞬。

1期第1話の頃は、みんなはまだ二年生でした。あれから一年と一ヶ月、あっという間に三年生、気がつけば“受験生”。でもまだ受験生だという実感はなく、今までと同じ関係が続いています。
アバン、放課後にラーメン屋へ行こうと誘う千鶴。このラーメン屋の話題はアニメオリジナルです。原作ではこの次のお話で修学旅行へ行くことになっており、その修学旅行についての話をしています。ラーメンを食べに行くのではなく、千鶴が修学旅行用のかばんを買いに行く…という感じ。

要と悠太に茶道部のことを話しに行く春。そこで見た大学の資料。まだ何も決まっていない進路。みんなまだ進路について、自分の将来について考えていないと思っていたのに、自分だけ置いて行かれてしまうのではないか、みんながばらばらになってしまうのではないかという不安にかられます。思い出すのは2期の第5話、受験生の昭博と出会ったお話。あの時春は、夕日に向かって“みんなとずっと仲よく、同じ関係でいられますように”と願いました。(丁度その回の感想で、今回のお話に触れていましたね)あの時不安に思っていた“受験生”になった春。みんなとの関係が変わってしまう、みんなとの足並みが乱れてしまうかもしれない恐怖。
春の視線の先、大学の資料と模試の範囲。まだ直視することが出来ない、“受験生”という事実。

挿入された幼稚園時代のお話は、原作の1巻にある「男のたしなみ」。春が持っている“いちごマシュマロ”と、想像した“マシュマロ”のようなキス。面白い絡め方ですね。こうやて幼稚園時代のお話を入れてくるのは、まるで1期第1話のよう。あの頃想像したキスの感覚や味、それはいまだに未知の体験。マシュマロのようにふわっとしていて甘い、そんな幼い想像。自分の将来についてもまだまだ未知で、マシュマロのようにふわふわとしていて、定まりません。“あの頃とは違って”というけれど、自分自身はあの頃とさほど変わりません。確かに大人にさしかかる時期ですが、まだ心は“子供”のまま。
大学の資料を渡しにくる悠太。ここも原作にはありません。春の視線を見ていた悠太。いつも春を見守っている悠太だからこその行動。手渡されたその本、“将来”と向き合う春。

放課後、東先生に声をかけられる春。ここも原作にはない部分。その次の茉咲に声をかけられるシーンも、原作にはありません。東先生に“いつ先生になろうと思ったのか”を聞く春。東先生が先生になろうと思ったのは、大学受験の時。本当は今の時期に決めるのが好ましいこと。でも、なかなか将来のビジュアルがはっきりと見えている人はいません。何になりたいか決まっていても、挫折したり諦めてしまう人もいます。なりたいものが多すぎて、迷ってしまう人もいます。なりたいものが何一つ思いつかず、悩む人もいます。でもそれって、当たり前のこと。“これになりたい”と一途に思える人は、なかなかいません。だから、教師になりたいと早くから思うことが出来た東先生は凄い人。その凄い例を、あたかも全ての大人がそうであるかのように受け取ってしまった春は、いっそう悩んでしまいます。
茶道室の前、茉咲に声をかけられる春。茉咲が春に聞いた、“どうして茶道部に入ったのか”。学校の部活、それは進路ほどではないにせよ、自分が選択するものです。春の答えは「なんとなく」でした。でも、この「なんとなく」も大切なこと。曖昧な理由でも、選択し、体験したことが自分の糧となります。それに選択したことにより、新たな選択肢が生まれるかもしれません。物事の転機となるかもしれません。春はこの「なんとなく」を、“ぼんやり”だと考えました。でも人生の選択なんて、“案外そんなもの”。
今回、場面転換の演出が面白いですね。ぼーっとしている所から、次の場面に切り替わる演出。そのまま、前の場面と繋がっているかのような場面転換です。気づかぬうちに流れる時間。それはまるで、あっという間に過ぎ去る人生のよう。

茶道部に集まったみんな。1期第1話でも、祐希を部活に入れるために茶道室を訪れていましたね。でも、あの時はまだいなかった千鶴。
初登場、お茶の作法を教えてくれる十(つなし)先生。原作では、今後のお話にも出てくるキャラクターです。「和敬清寂」、どんなことがあっても、動じない心のゆとりを大切にしなさいということ。千鶴達に対してだけではなく、東先生と茉咲の言葉に困惑する春、そんな彼への言葉でもあります。

和菓子が美味しかったというだけで、お茶の道に進むと言った千鶴。確かに千鶴の場合無理である可能性の方が高い(というか、ほとんど無理)ですが、些細なきっかけでも“興味を持つ”ということは大切なこと。春だって「なんとなく」で茶道部に入ったのですから。そうやって興味を持ち、チャレンジしてみることはいいことです。自分に向いているか向いていないか、面白いか面白くないかは、やってから決めても間違いではありません。そして一回諦めてしまっても、もう一回チャレンジしてみることも悪くはないのです。彼らの人生は、まだまだ長い。
十先生がお茶の先生になろうと思ったのはいつなのか、春の質問。自分の家が茶道の教室をやっていたというのは、ちょっとしたきっかけ。きっかけであって、他にもいくつもの選択があったと思います。そんなたくさんの将来の選択から茶道を選択したのも、些細なきっかけ。春が「なんとなく」茶道部へ入ったのと同じ、千鶴が「なんとなく」お茶の道を進もうと考えたのと同じ。強いて言うなら勉強よりも得意だったから。でもそれは、後付けの理由。東先生とは対照的な答えです。「案外そんなもの」で決まる将来。高校卒業後の進路、高校卒業後に就職する人もいますが、大学などに通うなら、まだ大人の一歩手前。漠然とスキルアップ出来そうな大学を選び、その後将来を決めたっていいんです。就職だって、自分の思い通りにはいかないかもしれません。そうしたら、別の仕事を体験してもいいんです。自分には全く合わないかもしれない、もしかしたら自分に向いているかもしれない。一度しかない人生、どうなるか予想の出来ない自分の人生。今選択したことで、未来が全て変わってしまうわけではありません。思い描いた未来も、些細なきっかけで全然別な未来に変わってしまうかもしれません。だからこそ難しく、面白い“人生”。無限の可能性を秘めた、若いみんな。
大人になれば、みんな“しっかりした人”になれるのかといえばそうではなく、大人になっても子供の頃の自分とどう違うのかわからない。体が大きくなり、幼い頃よりも知識を身につけて…それでも、自分の“心”が変化したのかどうかはわかりません。“子供”と“大人”、案外違いのない両者。子供が大人になる時に心の変化を感じないのであれば、みんなが同じ“仲よしでいたい”という思いを持てば関係が壊れることはありません。
十先生を見る春、それを見詰める悠太。春の悩みを悟った悠太。答えを教えるのではなく、答えを出すまで見守る悠太。

最後、春と悠太を待っていた三人。これも原作にはない場面です。原作では春の「大変結構です」という台詞で終わり。悩んでいる春を置いていかないで、待っているみんな。移動する景色は、時間の流れ。過ぎ去っていった幼い日々。流れる時間はまってくれないけれど、大切な友達は待っていてくれます。自分が立ち止まってしまっても、ずっと待っていてくれます。変わってしまう景色、それでも変わらない関係。それは、これからも、ずっと…。

アニメは終わってしまっても、原作はまだまだ続いています。まだまだ、彼らの青春は続いていきます。彼らの関係は、もっともっと続いていきます。最初は不安だったアニメ化ですが、本当に丁寧に作られていてとてもよかったです。監督が神戸監督で本当によかった!心からそう思いました。

つり球 第11話「伝説のビッグフィッシュ」

前回、タックルを組むかの如く集まったみんな。今まで釣りの技術の向上とともに築き上げてきた“人間関係”の集大成。試される四人の絆、そして意志の強さ。

前回の最後、ヘミングウェイへ落ちたミサイル。心配されていた歩ちゃんの安否ですが、直撃はまぬがれた模様。歩ちゃんの手によって守られたロッドとリール。その代償は歩ちゃんの骨折。そろった道具、それはみんなの思いが込められた物。“あいつ”を釣るべきなのはユキ、ハル、夏樹、アキラの四人。四人に思いを、そして未来を託す歩ちゃん達。
“あいつ”を釣ったら、星に帰らなくてはならないハル。歩ちゃんの言う通り、“さよなら”は“寂しい”。でも、別れは必ずやってきます。“さよなら”は釣りが終わってから。みんなで世界を救ってから。だって、無事に戻ってきて欲しいから。ここでお別れしてしまったら、もう戻ってこないような気がしてしまうから。海咲の言った“お別れパーティー”、ケイトの退院祝いのように本当に開かれるといいのですが…。

アキラ達の元にやってきたDUCK。捕まってしまうハル。アキラの意志。DUCKの一員として、江の島を任されたから江の島を守る…それは仕事での建前。半年間の監視は公、半年間の心のふれ合いは私。異星人に心を許せば、DUCKの隊員資格を剥奪されてしまう。それでもアキラは自らの意志を貫き通します。
そもそも、江の島に配属されたのは左遷。そこからどうにかして上層部に認めてもらおうともがいていたアキラ。そんなアキラが、社会的地位を捨ててでも守りたいもの。それは江の島、そして江の島のみんな。これは“仕事”ではなく“私情”、アキラの本当の“意志”。アキラが必死にDUCKに、社会的地位にしがみつこうとしていたことは上司もわかっていたはずです。だからこそ多少無茶をしても、アキラは命令に従うだろうと思っていました。予期せぬアキラの反抗。アキラは使い勝手のいい駒。だからといって捨て駒ではありませんでした。小さくとも、なくなってはいけない歯車の一つ。そんな歯車の反逆。“暑苦しいのが苦手”と言っていたアキラ、そんなアキラが張り上げた声、とった行動。それはまぎれもなく“熱い”です。

沖へと急ぐ青春丸。もしも“あいつ”が釣れなかったら、一人で何とかしようと考えているハル。生きていれば必ず経験する“別れ”。でも自分を犠牲にするような無茶な別れ方と、円満な別れ方は違うもの。ハルはどちらの別れ方も同じくらい悲しいと思っています。でもユキ達にとっては、目的を達成し、笑顔で“さよなら”をした方がいいに決まっています。友達だからこそ、無事に星へと帰してあげたいんです。

江の島から遠くへ逃げるよう、住人に避難を促すDUCK。江の島を、世界を救うために釣りをしている四人。そんな四人を置いて江の島を離れることは出来ない保。何も知らない人からすれば、「こんな時に釣りかよ」。でも地球の危機に直面している四人からしたら、こんな時だからこそ釣らなくてはならない。四人の願いは地球を救うこと、みんなを守ること。それは、DUCKだって同じです。宇宙人には容赦しないDUCKですが、そもそもの目的は地球、そして人間を守ること。やり方は違っても、目的は一緒。四人が“あいつ”を釣り上げても、保が江の島に残り爆発や火災に巻き込まれてしまったら元も子もありません。

“あいつ”を発見したユキ達。結び方はユニノット。荒波と雨風の中、難しいキャスティング。居場所を探るカウントダウン。今までの復習。なかなか食いついてくれない“あいつ”。相手の気持ちを考えるユキ。自分の家のベッドの上と同じ、船の上で寝そべり、目をつぶるユキ。今までのことを思い出し、整理して、答えを導き出そうとします。駆け巡るハルとの思い出。記憶の中のハルの姿、最初は疎ましいと思っていたけれど忘れてはいない光景、そこから導き出した答えは“赤”。これで、何故ハルがユキを選んだかがわかりましたね。ユキの髪が赤かったから。だから初めてハルがユキを見た時、瞳に“赤い魚”の姿が映ったんです。赤い髪は、フランス人のクォーターであるユキのコンプレックスでした。でもその赤い髪があったからこそ、結びついた関係。ハルがユキを引き(惹き)寄せるよりも前に、ハルはユキという“赤い魚”に食いついていたんですね。
ルアーを赤く塗るユキ。ワンセグで流れる自分達のこと。今、日本中を駆け巡る情報。日本を、世界を、地球を背負う四人。のしかかる重圧。一人では簡単に押しつぶされてしまいますが、四人で背負えば大丈夫。それにユキ達は、あの日みんなで話したように、世界が終わるかもしれない日に一緒に釣りをしているだけなのだから。

迫り来る台風の暴風域。対艦ミサイルの発射。刻一刻と迫るタイムリミット。イージス艦に残されたDUCKの隊員を、アキラは“仲間”と言います。DUCKから追放されようとも、なおも仲間だと言い、守らなくてはならないと考えるアキラ。上司も出来ることなら助けたいと思っています。でも、早くしないと手遅れになってしまいます。大きな犠牲を出す前に、小さな犠牲で食い止めたい。でもDUCKの隊員だって、守るべき“人間”であることにかわりありません。ユキを支える夏樹とアキラ、操られないように全力で力を使うハル。一つになる、みんなの強い思い。

壊れたルアー、壊れたハルの三角形。頭上には、大きな“あいつ”の三角形。操られるハル。それでも最後の力を振り絞って、自らを犠牲に“あいつ”を遠ざけようとします。でもそれは、ユキも、誰も望んでいないこと。ハルの口から出た、“さよなら”の言葉。あの時言えなかった“さよなら”、言ってしまった“さよなら”。“さよなら”は戻ってきてからだと言ったのに…。
暴風域に入った途端、急激に力を増す“あいつ”。踊り出す人々。残された時間は、あとわずかです。

次回は「さよならのフィッシング」。第1話のサブタイトルと同じ、“フィッシング”です。ハルとみんなとの“さよなら”、そして私達視聴者との“さよなら”。
壊れてしまったルアーと、操られてしまったハル。そこをどうカバーし、釣り上げるのかが問題となりますね。“ユキが釣り上げる”というのはハルとの約束なので果たされると思うのですが…。ルアーの代わりになるものと言ったら、赤い“ユキ”くらいしか思いつきませんよね。ハルの瞳に映った“赤い魚”ですし。ハルの後を追って、ユキが海に飛び込むとか…?次回はいよいよ最終回、みんな笑顔で迎えられるといいのですが…。

君と僕。2 第12話「赤裸々」

久しぶりの登場となる、しずねえと日紗子ちゃん。今回は1期から描かれていた“要の性格”、“要の好きな人”、そしてみんなのことを見つめる“しずねえの視線”…その全てが一つになるお話。要の視線と、それぞれの足元、立ち位置がポイント。

アバン、屋上にいる五人。右側に千鶴と要、左側に春と悠太と祐希がいます。右側は建物の影になる場所、そこにいる千鶴と要。二人に共通することは、この2期で“自分の思いを伝える立場”にいること。綺麗なハッピーエンドを迎えることが出来ない二人。それでも一歩先へ、笑顔で進むことが出来る二人。

日紗子ちゃん達の家に訪れる要。着替えにもたつき、ぼさぼさの髪で要を迎える日紗子ちゃん。ここできちんと日紗子ちゃんの服が変わっていて一安心。服装に悩み着替えても、要の視線は髪の毛へ。ぼさぼさの髪について指摘する要。ですが、すぐに要の視線は“しずねえ”を探します。日紗子ちゃんの背後から来るしずねえ。
台所で料理の手伝いをさせられる要。要の視線はやはり“しずねえ”へ。しずねえの服の袖をまくってあげる要、視線をそらす日紗子ちゃん。日紗子ちゃんのぼさぼさの髪には気づいても、切りすぎた前髪、要のために着替えた服には何も言わなかった要。二人を見る“視線”の違い。
昔はよく一緒にご飯を食べていた三人。高校生になって社会人になって、こうやって一緒に食べる機会が減ってしまった三人。100点のテストを見せに来なくなった要。どちらも時間の流れがそうさせたこと。要が頑張るのは、しずねえに褒めてもらいたいから。今だって、テストを見せればきっと褒めてもらえるはずです。でももう高校生なのだから、そんなことで褒めてもらう、褒めてもらおうとすることは恥ずかしい。でもそれ以外に、成長したことによる変化もあると思います。頑張ろうと思ったきっかけはしずねえでしたが、今は少し違います。“しずねえのため”から、“みんなのため”へ。“褒めてもらう”から、“当たり前”へ。完璧でいなくてはならない、周りから完璧だと思われなくてはいけない…そこが要のいい所であり、悪い所。でもそれを理解し、フォローしてくれる友達がいます。
「結婚するの」…しずねえの言葉に泳ぐ要の視線。今までの、恋のような憧れのような視線。直視することの出来ないしずねえの姿。動揺。かき混ぜられるカレーのように、収拾がつかずどろどろと渦を巻く心。

心ここにあらずな要。そんな要の姿を見る四人。あることないこと話している四人ですが、要のことを心配しているのは本当。母親がいないことに寂しさを感じていても、そうではなくても、ただいつもの要に戻って欲しいというのが四人の考えです。
日紗子ちゃん達の家に押しかけるみんな。日紗子ちゃんが要に「ほっとしてるくせに」と言った通り、要はみんながついてきてくれたことで結果的に救われています。強引で勘違いなお節介。でもそれがみんなのいい所であり、要をフォローするのに必要なこと。しずねえと目が合う要。話をしながらもそらす視線。いつも通り接するしずねえと、まだ気持ちの整理がつかない要。

タマネギを切る千鶴と祐希と要。千鶴と祐希の流す涙。「要は涙なんか流さないでしょ?」と、交代を要求する二人。その通り、要は悲しくても涙を流さないんです。要を元気づけるために、四人は押しかけてきました。タマネギの涙は、要が泣かない代わりの涙とも取れます。
そんなやり取りを見つめるしずねえ。夏祭りの花火の時と文化祭の時と同じ、みんなの輪の外側からのほほえみ。大人と子供という、目に見えない境界線。子供時代を懐かしむ大人。まだ25歳、“もう”25歳。
醤油を取りに行く要。電気のついていない自分の家。窓の外に見える光、賑やかな隣の家。暗い中に一人いる時間、それは見つめ直す時間。頭の中に響く声、あの時見たしずねえの表情。結婚報告をするしずねえの顔、あの時見た顔よりも笑っているように感じます。結婚は喜ばしいこと。でも、素直に喜ぶことが出来ない自分。どんどん遠くへ離れていってしまう感覚。みんながいないのだから、一人きりなのだから泣いてもいいのに、それでも泣くことのない要。

最初から叶うはずがないと諦めていた恋。わかっていたことなのに、覚悟していたことなのに、実際に叶わないとわかってしまうとどうすればいいのかわからなくなってしまう。今自分がどんな気持ちなのかすら、わからなくなってしまう。今思っているのは“悲しい”という気持ち。それを理解することも、表に出すことも出来ない要。だから、要の代わりに泣いた日紗子ちゃん。ここの二人のやり取り、最初に原作を読んだ時アニメになったらどうなるんだろう…と色々考えたシーンなので、今回見ることが出来て本当によかったです。日紗子ちゃんの台詞がどのくらいの怒鳴り方なのか、どのくらいの気持ちのぶつけ方なのかとか、その後の要の台詞は淡々とした感じなのか、ぶっきらぼうな感じなのかとか。こんな感じで来たか!と声を聞いて納得したり、さらにそこから考えたりして…面白い。

買い物に行く要としずねえ。ぶつかってしまった若い夫婦。試食のおばちゃんに「仲いいねえ」と言われた二人。両者の姿は似ていて、それでいて違う関係。もしも自分に勇気があれば、一歩を踏み出すことが出来ていたならば、もしかしたら一緒になることも出来ていたのではないかという空想。でも、叶わない現実。

土手に並んで座る二人。頭の中をめぐる、過去の思い出。子供の頃から、負けることのなかった草ずもう。要はしずねえに、結婚相手について聞きます。そこで出てきたのは「優しい人」、そして「自分以外の人みんなに優しい人」とも。それはまさしく、要が一生懸命なろうとしていた姿。必死に努力し、近づこうとしていた理想。1期第6話、かおり先生と東先生のやり取りを見て泣いた、あの幼い日のよう。
要は不器用。泣きたい時に泣けないくらい、不器用。本当は全部知っていたしずねえ。何でも完璧に出来るのは当たり前ではなくて、裏で人一倍努力しているから。それを悟られないように、必死でもがいてきた要。でも、要をよく知る人物なら誰でも気づくこと。春、悠太、祐希、千鶴だって、薄々気がついていること。そのことに気づけないのも、不器用。しずねえに褒めてもらうために頑張っていた要。今はしずねえのためだけではなく、みんなのために頑張る要。目的が変わっても、今の自分があるのはしずねえのおかげです。
しずねえに“伝えたかったこと”。それは愛の告白ではなくて、しずねえのために頑張っていたという事実。褒めてくれることが、笑ってくれることが嬉しかった、感謝の気持ち。幼い日に触れた腕、服の袖をまくってあげた動作と同じ。告白も、付き合おうとも思っていなかったけれど、“好き”。草ずもう、負けてしまった要。陰の努力と目的、それは他人には見られたくない恥ずかしいもの。それを見透かされ、自分の思いをさらけ出すことが出来た要。“完璧な自分”ではない、“本当の自分”をさらけ出すことが出来たからこその“負け”。
子供達に茶化される二人。幼い子供からみれば、子供である要ももう“大人”。しずねえに思いを伝えたことで、“大人”へと近づいた要。でもまだまだ子供。大人になっても、子供の部分が消えるわけではありません。大人の立ち位置にいる、しずねえだって。目頭を押さえる、不器用な要。オムライスは“子供”、親子丼は“大人”。選んだのは、日紗子ちゃんの言葉で適当に選んだオムライスではなく“親子丼”。

愛の告白は出来なかったけれど、伝えられた気持ち。前へと進むことが出来た清々しさ。日紗子ちゃんの前髪を伸ばす決意。前髪を伸ばすことは、子供から大人へと変わりゆく行為。そして、日紗子ちゃんは今までしずねえがいた場所へ。要を見る日紗子ちゃんと、日紗子ちゃんを見る要。ようやく交わった二人の視線。動き始める、二人のこれから。

来週はいよいよ最終回。まさか最後「へそと凜」で終わるとは!2期で描かれてきた春の考え方がポイントになります。そして、最終回ですが新キャラも登場しますよ。楽しみですが、少し寂しくもありますね。

雑記

昨日はタイムシフトの期限が切れてしまうので、つり球の一挙放送を見ました。改めて見直してみると、新たな発見があって面白いですね。第1話冒頭の水族館でハルが魚を操るシーンが、“あいつ”の操るなぶらに繋がってくるんだな…とか。他にも、続けて見ることでユキのモノローグが徐々に減っていく様がよくわかって気持ちいいですね。

それはさておき。予告通り、君と僕。2第11話の“高橋さんと猫の描写”についてです。
まず始めに、高橋さんが自販機の前にいるシーン。自販機に100円を投入した後、“桃ヨーグルト”のボタンを押そうとします。しかし、そこから横に移動する視線。視線の先にあるのは“牛乳”です。100円の返却、最終的に購入したのは“牛乳”。何故、高橋さんは牛乳を選んだのでしょうか?君と僕。のアニメでは、各キャラクターごとに選ぶ飲み物が決まっています。例えば要はウーロン茶、千鶴はミックスジュースなど。この選んだ飲み物こそが、それぞれのキャラクターの象徴になっています。1期の第7話「りんごのとなり」で、高橋さんが飲んでいたのは“桃ヨーグルト”。つまりこの“桃ヨーグルト”が高橋さんの象徴。では“牛乳”はというと、冒頭にある自販機前のシーンの通り、悠太と祐希の象徴です。悠太と祐希の象徴である“牛乳”、高橋さんの選んだ“牛乳”は多分“悠太”の象徴。1期第7話の最後、悠太が高橋さんの前で牛乳を飲んでいましたよね。“悠太”を選んだ“高橋さん”。
高橋さんと猫の接触。このシーンが挿入されるのは、丁度悠太が祐希を挑発する前です。そして、高橋さんの膝の上に乗る猫。その後に来るのが、挑発に乗った祐希のアタック。ここの高橋さんと猫は、悠太と祐希の関係を表していると思います。“牛乳”を飲む高橋さんが悠太、居場所を与えられる猫が祐希。この第11話の冒頭、自販機の前でみんなが茉咲と出くわしたシーン。そこでこの猫をなでているのは“悠太”です。
自販機で猫のために牛乳を買う高橋さん。その後に来る、バレーボールの勝敗結果。感想の方に書いた通り、原作では勝敗の結果は明確には描かれていません。勝敗のシーン、そして祐希の試合を見て悠太がほほえむシーンは、原作のその後のお話と共通していると感想で書きました。祐希を温かい目で見つめる悠太。猫に牛乳を与える高橋さん。共通する二つ。
そしてその後、茉咲達が賞状を乾かすことを手伝ってもらうシーン。挿入される、牛乳を抱えた猫。高橋さんは姿を消しています。これはつまり、高橋さんを“必要としなくなった”ということ。人の手を借りない茉咲と、悠太の手を少しずつ離れようとしている祐希。二人の“成長”。
“高橋さんと猫の描写”とは、なんだったのか。それは、原作にあるアニメでは描けない“その後”を表しているのかな…と思いました。“桃ヨーグルト”ではなく“牛乳”を選んだ高橋さん。恋愛よりも友情を優先させたあの時に比べ、少しずつ恋愛の方へと傾きかけている彼女の心。居場所や牛乳を分け与える行為は、悠太の弟を思う優しさ。少しずつ兄の手を離れていく祐希。そんな祐希を、嬉しくも寂しい気持ちで見つめる悠太。でも祐希が悠太から離れていくことで、生まれる悠太の心の余裕。そんな余裕が出来た時こそが、高橋さんと悠太、二人が本当の恋愛をすることが出来る時かなと思います。まあ、その辺りは今後の原作で…。

Pagination

Utility

プロフィール

人見

Author:人見
平成生まれゆとり系女子。
アニオタというよりは、ぬるオタ。最近はのんびり肩の力を抜いて見られるアニメが好きです。
アニメの感想は人それぞれ違うのが楽しい。

カテゴリ

公式

ドラマCD「ボクたちオトコの娘」
輪廻のラグランジェ 応援バナー
戦姫絶唱シンフォギア

君と僕。
THE IDOLM@STER
Are you Alice?
グラール騎士団

カウンター

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。